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人間関係・パートナーシップの力学

自分の「闇」と向き合うことが自分の最大限の可能性を切り拓く(「闇」があるからこそ「光」が見つかる)

比較すべきは「今日の『他人』」ではなく「昨日の『自分』」であるという気づきこそが、実は自分の可能性を切り拓く出発点となります。

なぜなら、自分の可能性を開く源は、自分の「外側」ではなく自分の「内側」にこそ存在するということ、そして自分の可能性の開花度合いは、自分の内面の成長と比例するという事実に気づくことができるからです。

自己の本当の成長の「評価」は、他人からの承認や獲得した社会的地位ではなく、自分の「感情」によってダイレクトにもたらされます。

自分が本当に自分の人生や使命を全うしているかどうかは、「自分を超えた大いなる存在」によって伝えられた「感情」によって、どんなに逃れようとしてもその内面からの「評価」に向き合わざるを得ないようになっているのです。

かの有名なマズローの5段階欲求説は、人間の本当の欲求は、親や配偶者や肩書といった社会的役割(第3欲求)や、他人からの承認(第4欲求)を超えた「自己実現(第5欲求)」にこそあるということを見事に解き明かしたものですが、それは自分の「外側」にある「常識」や他人からの「評価」ではなく、感情を通して自分の「内側」から湧き起こる「情熱」に従うことこそが、自分の可能性を最大限に開くということを解き明かしているのです。

しかし、自分の「内側」から湧き起こる「情熱」に従うということは、そのシンプルな言葉の響きとは裏腹に実は容易なことでありません。

なぜなら、それには「自分を信じる」こと、つまり「自尊の念」が必要であり、そのためには自分の内面と真摯に向き合うことが要求されるからです。

人というのは自分の内面と向き合うことを避ける傾向にあります。なぜなら、他人よりも何よりも自分のことが一番信じられず、内面と向き合うことは必然的に自分の「闇」の部分と向き合わざるを得ないことがわかっているからです。

しかし、比較の対象を他人とし、それによって自分の成長や価値の正当性を評価している限り、「不安」から逃れることはできません。その不安感は尖った気をもたらし、時として自己の純粋な成長よりも他人を批判する・陥れる・蹴落とすという発想や行動を呼び起こしてしまいます。

比較の対象を自分とし自分の内面と真摯に向き合えば、その先には心の「平安」が待っています。誰かれと比較すること無く自分は大丈夫という「本当の意味での『自信』」は、自己の純粋な成長と穏やかなあたたかい気をもたらしてくれるのです。

自分の「闇」の部分と向き合うことは、自分を否定することではありません。むしろ自分の内面の成長や可能性を拡げることにつながるのです。

なぜなら「闇」の部分に正直に向き合うことは、自分の「光」の部分を発見することにつながるからです。

人間は相対的にしか物事を認識することができないため、自分の周りが全て「光」であれば「光」を認識することはできません。「闇」があるからこそ「光」を認識することができるのです。

しかし、「闇」と向き合うことが自分の成長を促すとはいえ、その作業は時として大きな不安を伴うものです。その時に「闇」の部分も含めた自分の全てを受け止めてくれる存在がいれば、その歩みを進める上で大きな助けとなることがあります。

人間関係は「鏡」であるため、「闇」を含めた自分の「存在」をまるごと受容してくれる相手の姿があれば、その姿を通して今度は自分自身が自分の「存在」を受容できることにつながっていくからです。

人は全く孤独に生きるよりも「パートナーシップ」を求めていく本当の理由はここにあるのかもしれません。

そして、誰かに好意を抱くという「感情」の発信源が自分ではないとすれば、その好意の「感情」のウラには、お互いの「自尊の念」を育んで成長を図るための「パートナー」として結びつけようとする「自分を超えた大いなる存在」の意図が隠されているのかもしれません。

The key is to keep company only with people who uplift you, whose presence calls forth your best. -Epictetus

「重要なのはあなたを高めてくれ、その存在が最高のあなたを呼び起こしてくれる人とだけ一緒にいることだ」
ーエピクテトス(古代ギリシャの哲学者)

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上司だった科学者たちの目から見ると、私は取り柄のない人間と映ったかもしれないが、実は私にはすべてがあった。不安と野心に駆られると、人はいかにひどい人間になるかということを最初に教えてくれたのは、ここにいた科学者たちだった。

研究資金の獲得、出世、権力をめぐる競い合い、人が自分より成功するのではないかという恐れにとらわれているのだ。彼らは毎日、仕事の書類はすべて机の上に置いて帰ったが、仕事の重みと恐れはブリーフケースにつめこんで家路につくのだった。

この職業を通じて私は、霊性の道の実践に役立つひとつの真理を学んだが、それをいまでも座右の銘としている。まわりに受け入れてもらうことを求めず、また、まわりを必要ともしないとき、人は最も強い人間になれる、ということだ。

霊的なレベルでのこの安堵感は、私の気持ちを解放し、ほとんど昂揚に近い気分にさせてくれた。「自らにのみ忠実であれ」というシェークスピアの「ハムレット」に出てくる有名なセリフが、どうして霊性の道の教えとされるのかもわかったような気がした。

人は、自分に忠実であることと、まわりに認めてもらわなければならないという両極に分断されながら生きていくことはできない。まわりに受け入れてもらうために無理をした生き方をしていると、自分自身を害し続けていくことに、いつかは気づくはずだ。

人に認められるために自分自身に妥協を強いるのは、まさに自分の魂の一部を渡してしまう行為にほかならない。自分の一部をつぎつぎと人に明け渡してしまうと、やがて内面の力も、まともな自己意識も残っていない状態になってしまう。

あのころ、私が悟ったのは、人を操ろうとするのは人の魂を踊らせてよろこぶことであり、自分を尊重することによってのみ、踊らされるのを拒める強さがもてるということだった。

〜「第8のチャクラ(キャロライン・メイス)」より〜