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人間関係・パートナーシップの力学

成長のための「変化」を促す関係がパートナーシップの本質(安定のために関係を「固定化」させることではない)

「本当の意味での『自信』」つまり「自尊の念」を身につけるための導きや気づきを与えあう存在、すなわちお互いの可能性を最大限に発揮し合える存在こそが「パートナー」であるならば、その存在は生涯に渡って同じ人に「固定化」されるものなのかという問いが生じます。

婚姻関係というものはそれを「固定化」させる試みですが、変化を嫌い安定を好む理性の世界では、1つの関係をなるべく長期間維持することを良しとし、それに基づいた「常識」や「価値観」が形成されています。

しかし、自然界の法則に照らし合わせてみると、その「固定化」の試みは必ずしも「自然」なものではないことがわかります。

なぜなら、自然界の万物は諸行無常であり「変化」こそがその本質だからです。そして、その「万物」に人間も含まれることは論を待たず、どんなに頭の中の理性が変化を嫌っていたとしても、自然界の法則である変化からは逃れることはできません。

仮に自分の外側の状況を理性の力で「固定化」することができたとしても、それによって自分の内側から湧いてくる感情からは残念ながら逃れることは出来ないのです。なぜならその湧いてくる「感情」の発信源は自分ではないからです。

理性によって状況を固定化した場合に起こる後悔や欲求不満のような負の感情は、その状況の固定化が心の奥底ではわかっている自分の本当の望みや情熱とは違うということを、自分を超えた存在から自分に対して伝えられている証なのです。

実は自分の持っている「才能(容姿や技能など)」というのは、本質的には自分で獲得したものではありません。もちろん自分の努力でそれを伸ばすことは出来ますが、伸ばすための「芽」となる部分は、生まれつき与えられているものなのです。

であるならば、なぜ自分にそんな「才能の『芽』」が与えられているのだろうか。

単に人よりも優位に立って、人よりも多くの利益を獲得するために、つまり自分の「才能」を自分や身内の中でだけ発揮するためであるならば、そのような「才能」が自分に与えられたりするだろうか。

その視点に立てば、「自分を超えた大いなる存在」が「感情」を通して伝えてくる「情熱」に従い、自分や身内の枠を飛び出して人生を変える行動を起こすということは、それが理性的には突拍子もなく常識や社会通念に立ち向かうことであったとしても、天から自分に与えられた「才能」を正しく発揮するという意味においては、逆に「使命」を全うしているとも言えるのです。

なぜ私たちは偉人伝に惹きつけられるのか。それは、自分の感性に従い、常識や既存のシステムのレールから外れて自分の「使命」を全うすることは、実は突拍子でも何でもなく、信念を持って行動すれば必ず実を結ぶということを、彼らが「現実の世界で」証明してくれているからに他なりません。

実はそれこそが「自分の最大限の可能性を発揮する」ということであり、その目的を果たすための導きや気づきを与え合う存在こそが「パートナー」なのです。

つまり、「パートナーシップ」の本質というものは「成長のための『変化の触媒』」すなわち「成長のための『変化』を促す関係」であり、生活や社会的地位の維持・安定のために関係を「固定化」させるものではないのです。

なぜなら、お互いが成長し合え、お互いの最大限の可能性を発揮するための導きや気づきを与え合う存在で居続けることができれば、婚姻という形で「固定化」せずとも、その関係は「自然と」維持・発展していくはずのものだからです。

もちろん、パートナーを変えるという選択が、単に個人的な欲望によるものであるならば、推奨されるべきものでないことは論を待ちません。

しかし、関係を結んだ時点からの時間の経過と共に、自分とパートナーの間の考え方や成長度合いに変化が生じることで、自分の中で関係を「固定化」せざるを得ない心理状況になったとすれば、さらなる自分の成長を促し、自分の最大限の可能性を発揮するために、歩みを共にするパートナーを変えるという「選択」は決して利己的なものではなく、むしろお互いのためにもその方が「自然」であると考えることもできるのです。

重要なのは、どんなときでも自分の内面の成長や最大限の可能性を発揮するための選択肢を、自分もパートナーも自由に選ぶことを許容し合える関係にあるかということです。

かつて日本は終身雇用原則のもと、入社した会社に定年まで居続けることが当たり前で、転職などはもってのほかであり、会社と個人との関係は「従属的」かつ「固定的」でした。

しかし、今では1つの会社に定年まで居続けることが必ずしも良いとは限らず、むしろ自分のさらなる成長を促すためにリスクを取って転職する方が良いと考えられる時代になりました。

会社と個人との関係が「従属的・固定的」なものから「対等的・流動的」なものに、つまり会社が「従属の対象」から「個人の成長を促すための『変化の触媒』」へと「進化」したのです。

同じような「進化」が、「パートナーシップ」の関係においても、もたらされることになるでしょう。

人間関係の目的はひとつしかないーそれは、人生のすべてに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」ーつまりほんとうの自分という存在をまるごとー分かち合う相手をもつことだ。

人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会ーそれどころか、唯一の機会ーを与えてくれるからだ。人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわさるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。

これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い人間関係では相手のことだけを考えるものと聞かされてきたからだ。ところが、ほんとうはあなたはあなたがたが相手にばかり気持ちを向けることー相手にとらわれることーが失敗の原因である。

自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。多くのひとたちは、相手への愛情を通じて自分への愛情を求めるという過ちを犯している。もちろん、自分がそうしていると気づいてはいない。

あなたがたは発展進化し、自分自身になっていく存在である。そして、あなたがたはあらゆるものとの関係を活用し、何者になるかを決定する。その仕事のためにあなたは生まれてきた。それが、自分を創造する喜びである。自分を知ろうとする喜び、意識的に自分が望む自分になる喜びである。それが、意識的に自分自身になっていくということである。

自分自身の最も気高い部分を知るということ、そしてそこにとどまるということは、立派な人生の目的だ。だから、あなたの最初の関係は、自分自身との関係である。まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。

被害をおさえるとか、できるだけ得をするという観点から人生を生きていると、人生の真の利益を失ってしまう。機会が失われる。チャンスを見のがす。そんな人生は、不安に駆り立てられて生きる人生だし、そんな人生を送るあなたは、ほんとうのあなたではない。なぜなら、あなたは不安ではなく愛だから。

ひとはつねに愛し、愛されたいと願っている。つねに、愛が無制限であってほしいと願っている。そして、それを自由に表現したいと願っている。あなたがたは愛の経験のすべてで、自由と無制限と永遠を求める。愛-生命-愛-無制限-永遠-自由。このどれにもあたらないものは、ほかのどれでもない。

これがあなたがただ。「遅かれ早かれ」そういうものとして自分を経験したいと願うようになる。人間という種は、無制限で永遠で自由な愛を経験したいと切望するということだ。結婚という制度は、永遠を創造しようとする試みだった。結婚によって生涯のパートナーになることを約束しあおうとした。だが「無制限」で「自由」な愛の創出にはあまり役立たなかったね。

結婚は「いまの状態」が永遠であることを保証しようとする努力だ。保証がいらなければ結婚も必要ない。その保証をあなたがたは何に使うか?第一に、安全を保障する手段として使う(自分自身のなかに安全を求めるかわりに)。第二に、その保証が永遠に続きそうもないと、相手を罰する手段として使う。こうして、あなたがたは結婚がとても役に立つものであることを発見した。ただし、まったく間違った理由で。

結婚はまた、お互いへいだくような感情を決して他人にもたないと保証しようとする試みでもある。少なくとも、同じ方法で表現しないと保証する試みだがね。

関係性のなかで、もっと高次のとくべつさを経験したいと思うときが来るかもしれない。自分にとって誰かがとくべつだというのではなく、すべてのひとへの(それに生命そのものへの)愛の深さを示す方法は相手によってちがう、それぞれ独特なものだということだ。

このとくべつな愛をひとりだけに示したいと思う日が来たら、そのときはそれを選びなさい。それを表明し、宣言しなさい。だが、その宣言を義務ではなく、その瞬間の自由の表明にすること。なぜなら、真の愛はつねに自由で、愛の場に義務は存在しえないからだ。

ひとりだけを独特なかたちで愛するという決断を、決して破ってはならない神聖な約束と考えるなら、その約束が義務になる日がかならずやってくるし、あなたはそれを恨むだろう。だが、その決断をたった一度の約束ではなく、何度でもやり直す自由な選択だと考えれば、それを恨む日はこないだろう。

このことを覚えておきなさい。神聖な約束はただひとつしかない。それは、ほんとうの自分を語り、生きることだ。ほかの約束は自由の喪失で、決して神聖なものではない。ほんとうのあなたは自由だから。自由を失えば、自分自身を失う。それは神聖どころか、冒涜だ。

〜「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ)」より〜